プロフィール
-皆様へのごあいさつ-
私は33歳より3期12年、市議会議員として延岡のまちを元気にするために努力してまいりました。そして前回の県議選でも市民の皆さまのご支持を得て当選することができました。議員という仕事に、今でも誇りを感じています。
その15年の議員活動において、国や県・市・様々な企業や団体を繋ぐことで課題や悩みを解決し、これまでにたくさんの効果を生み出してきました。その中で「あなたのやり方を市政でも発揮してほしい」「市民の選択肢を増やすためにも出馬していただきたい」など、市長選挙への出馬要請をいただくようになりました。
要請をいただいた2021年当時、私は県議の任期途中。しかも1期目ということで、支持していただいた多くの皆さんの期待を裏切るかもしれない。しかし、市民の選択肢が無い状況下での無投票選挙では次の4年間で延岡が発展する可能性を狭めることにもなりかねない…と、深い常蔵の中にいました。これから先の延岡を想い描いたとき「私が出馬しあらゆる深い絆を繁ぎ続けてこそ、延岡の未来は切り拓いてゆける!」と確信し、自らの意思において出馬を決意しました。
結果は、明らかに私の実力不足でした。多くの方にご心配やご迷惑をおかけしたこと、大変申し訳なかったと今でも思っています。しかし、多くの皆さまからご支援を賜ったことは、私にとって大きな財産となりました。後悔はありません。ありがとうございました。
市長選後は、9月に発生した台風14号の災害ポランティア活動や年末年始の発熱外来のサポート、その他たくさんの市民活動のお手伝いなど、多くの市民の皆さまとともに行動し、絆を紡いで参りました。現場で聞こえる様々な声にその都度私の心は熱くさせられ、それぞれの想いに寄り添い、支え、行動を起こさなければと感じました。ボランティアを通じて人と交わるのが大好きな本来の私を取り戻せたと感じています。それは私にとって、本当に貴重な時間となりました。
その中で、私の信念である「延岡をもっと楽しいまちにしたい」を実現するためには再度、私自身を深く見つめ直し、新たな私自身を鍛えていくことが必要であり、また冷静な視点で県政の立場からもう一度、延岡のことを見直す必要があると考えました。
心は熱く、頭は冷たく。
「実力をつけたい。実験を積みたい。
「そして何よりも、困っている方や弱い立場の方々を笑顔にしたい!」
そんな想いを心に刻み、私は決意しました。
私はふたたび歩み始めます。
それが政治家を志す私の道である。私の信念である。
延岡をもっともっと元気で楽しいまちにしたい”を実現するために。
どうか皆さまには、これまでと変わらぬご理解とご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
プロフィール
プロフィール
生年月日:昭和49年2月24日(49歳)
家族:夫・長男・次男
趣味:ボランティア、シャンソン、余興
資格:臨床検査技師、防災士
経歴
延岡市立東小学校卒
延岡市立延岡中学校卒
宮崎県立延岡東高等学校卒
熊本保健科学大学卒 衛生技術科卒(旧 銀杏学園短期大学)
延岡市内の医療機関に臨床検査技師として10年間勤務
延岡市議会議員(3)
宮崎県議会議員(19)
延岡アースディ副実行委西長
延岡観光協会副会長
延岡市バレーボール協会会長
道っくりを考える延岡女性の会副会長
まつりの※おか実行委員会部会長
宮崎県立延岡業高等学校同窓会副会長
延岡市立延岡学校 評強員
延间地区保我司会 保護司
子どもネットワークのべおか理事
延岡子どもの賞国対策ネットワーク会議
県議会議員としての実績(一部抜粋)
(国会・県議会・市議会議員のみなさん、関係機関の協力のもと)
・北川町曽立地区の3年連続内水氾濫に対し、議会質問や国会議員、土木事務所への要望も重ね、県議や市議の皆さまと住民の皆さまの長年の努力の末、4億8,000万円の堤防整備に着手しました。
・新型コロナの影響で出荷が低迷する養殖魚を支援するため、議会質問や国会議員、県や県漁連への働きかけを行い、学校給食に1億7,200万円の予算措置で、延岡市内43校の小中学校に平均18回も延岡産の魚がメニューになりました。また、8事業 約4億円の事業化にも着手しました。沖縄のスーパー19店舗で、延岡のブリ・カンパチ・真鯛・鮎などを売りました。
・県立延岡病院の医師数を、2年間で60名から67名まで増やし、ECMO(新型コロナ重症患者用の体外式膜型人工肺)やCTを導入し、新型コロナウィルス対策と医療体制を強化しました。
・県北初となる重度心身障がい児(者)の医療型短期入所施設を市内医療機関にお願いし、設置しました。
・市内2箇所ある県立高校生徒寮のエアコンが県内唯一未整備でしたが、100%整備しました。
・6年前より文科省や東海大学堀田教授にご協力いただき、市内小中学校のパソコン整備率を県内ワースト1から県水準まで向上させ、小中高校の公務用システムの導入も推進しました。
・「ラグビーヤマハ発動機ジュビロ」と「女子ラグビー日本代表」の延岡合宿を誘致し、4年連続成功させました。
・宮崎県が作る神話マップに、延岡初となる「笠沙の御碕公園」を登録しました。
・新型コロナウイルス感染拡大中、臨床検査技師として県立延岡病院でPCR検査の応援に入りました。
うちだ りさの 一問一答
Q
&
A
Q
1)なぜ県議を辞めて「市政の立て直し」を目指すんですか?
私は、県議として延岡市と宮崎県との距離を縮めたい!との想いで、これまで活動してきました。
しかし、県議会にいて、これまで築き上げてきた延岡の「信頼」が失われている感覚をおぼえることに強い危機感を抱きました。 現在、延岡市は、市議会や国や県、近隣自治体や市内主要団体等との「対話」が充分にできておらず「みなさんの意見」が反映されていないと感じています。また、市民の皆さまや各団体の皆さまから「みんなが仲の良かった延岡市に戻して欲しい!」という声を数多く聞くようになりました。
私は愛する延岡のためなら何でもやる覚悟で15年間、政治活動を行ってきました。
「延岡をなんとかしたい!」との想いから悩み抜いた末、県議を辞職し「市政の立て直し」
を目指す決意を致しました。
A
Q
2)今の市政のどこを変えたいですか?
市長も、市議会議員も、市民の皆さまから選ばれた代表です。お互いの意見を尊重しながらまちをよくするために「対話」を重ね、対等に議論をしていくのが本来の市政のあり方だと思います。
しかし現市政は議会との対立が続き、まちを良くすることを最優先に考えるよりも「自分の考えを押し通すことが目的」となってしまっているように感じます。まちを良くするには自分の考えは持ちつつも「対話」を重ね、みんなが納得できる形に柔軟に対応するしなやかさが必要だと思います。
私は、延岡市民の皆さまと一緒にまちづくりを行っていきたいのです。市民の
皆さまからの提案、市役所職員からの提案、市議会からの提案が飛び交うような、
イキイキとした市政運営に変えたいと思います。
A