延岡市北方町出身の菊池米太郎氏(1869-1921)
- ru0224
- 11 分前
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台湾行き宮崎発着のタイガーエアに乗り、台北へ行きました。目的は、台湾における近代国家としての基盤づくりをされた後藤新平氏のご親戚で、衆議院議員・延岡銀行頭取であった三宅正意(みやけまさおき)氏の曾孫にあたる方が、台湾へ行き、後藤新平氏の功績を辿りたい…という相談があり、叶えるためのツアーでした。
台三株式会社林克三様、パシック様にお世話いただき、武蔵野大学客員教授・台湾在住作家の片倉佳史先生にご協力いただきました。
皆さま、ありがとうございました。
台湾博物館では、後藤新平氏なくては今の台湾は無かったことがハッキリと分かりました。
様々なエピソードを聞き、台湾の方々に後藤新平氏が今もなお愛され続けていることが分かり、相談者は涙を流されていました。
また、博物館の後藤新平像のすぐ横に展示されている動物学者、菊池米太郎氏の説明を聞くことができました。
宮崎県延岡市北方町出身の菊池米太郎氏は、総督府で博物学・標本収集の仕事に従事され、台湾の自然史研究の基礎を築いた方です。
ミカドキジを捕獲、標本されたことが有名で、明治天皇にも献上されているそうです。その他、菊池の名前をとり、菊池氏田鼠、菊池氏龜殼花、菊池氏細鯽、蘭嶼壁虎(Gekko kikuchii)など敬意を表され命名されています。
医者であり政治家であった後藤新平氏には台湾のコレラ、マラリアなどのウイルス感染対策の使命もあり、公衆衛生の調査・研究を委ねられていたため、動物学的視点も必要である…と、調査・研究をされていたのだとか。
美術家・小松孝英さんに菊池米太郎氏が延岡出身であるということをお聞きしていたので、今後、日本でも菊池米太郎氏に光があたることを期待したいです。
今回、後藤新平ゆかりの地を巡りながら感じましたが、感動的な場面が多く、国境と時空を越えた人と人との繋がりの大切さを痛感しました、
引き続き、台湾との交流に力を注いで参ります。

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