ひみこさんのピアノ
- ru0224
- 7月31日
- 読了時間: 2分

野口遵翁生誕祭へ。
宮崎県延岡市に工場を構え、地域に化学産業を根づかせたのが、旭化成の創業者・野口遵さんです。電力と化学を融合させるという当時としては革新的な考えで、日本の産業界に大きな足跡を残された「延岡新興の母」とも称される方です。今も延岡のまちづくりの原点とも言える存在です。
吉玉会頭より、遵翁のお孫さんにお会いした際に聞いたいくつかのエピソードを、今回、お話しいただきました。
遵さんは生前、ひみこさんというお孫さん(現在80才代で、お元気でいらっしゃる)を、大変、溺愛されていたそうです。ひみこさんは、遵さんからピアノを買ってもらったことがあるそうです。
遵さんは、とても部下に厳しい方だったそうですが、お孫さんにはメロメロで普通のおじいちゃんだったそうです。遵さんはある時、ソウル市内で脳溢血で倒れたことがあり、その際、ひみこさんがお見舞いに行ったら、涙を流して喜ばれたそうです。ひみこさんは、「泣くって悲しい時だけでなく嬉しくても泣くんだね。」と率直に思ったのを覚えているそう。
遵さんの部下たちは、遵さんが孫に溺愛なのを知ってか、「ひみこさんはいますか?」「何時くらいにひみこさんは来ますか?」と確認をしてから、そのタイミングに合わせて、遵さんを尋ねていたそうです。そう、ご機嫌の良い時にアポイントを入れたかったから…。ひみこさんがいると、話もスムーズで、和やかに進んだそうです。
遵さんは、「したがう」と言う名前ですが、自分が人にしたがうことはしなかったそうです。遵とは呼ばせないくらい、威厳のある方で簡単に人に媚びない芯の強い方だったそうです。
近いうちに、ひみこさんに贈ったピアノが、野口遵記念館に届くそうですよ。




コメント