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​お知らせ


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西南戦争を語り継ぐ会の牧野会長の呼びかけで、今年も、「西南戦争 和田越古戦場のシダ刈り」作業が行われました。希望ある未来を拓く会、延岡市役所文化課の参加以外に、日向市と鹿児島県からの参加もありました。

ありがとうございます!!!


18年前に森林組合で購入した草刈機を持って行きましたら、刃が全く無くなっているのに気付かず、グリーンワークスの西府さんが付け替えてくれました。メンテナンスまでしていただき。。。

ありがとうございました。


今年もお盆前に、古戦場と戦死者埋没地の清掃が終わりました。良かったです。

2年後には、西南戦争から150年を迎えます。

①鹿児島市の西郷隆盛終焉の地「城山公園」や「南洲神社・南洲墓地」、②熊本市の「田原坂」、③宮崎県延岡市の西南戦争最後の激戦地「和田越え決戦場」の3県で、歴史を顧みる記念行事ができるよう、関係する方々にお声かけしております。

今回、鹿児島県から清掃活動にご参加いただき、本当に嬉しかったです。前回は、熊本県からもご参加いただきました。


ありがとうございました。

お疲れ様でした。



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今日は、第158回都市計画審議会に出席しました。

県議は、審議会2号委員として、山内いっとく委員、松本哲也委員、山口俊樹委員、そして私の4人で臨みました。

(写真は、イメージ。一昨日の調査時の写真ですが、今日の審議会もこんな感じで真剣に…)

現在、都市計画区域マスタープランの改定へ向け、専門委員会や審議会が開催されています。

これまで議会質問でも明らかになっていますが、市街化調整区域の区域区分について、宮崎・日向・延岡内で適用されています。地元企業の成長のため、また地域経済をさらに活性化させるためには、区域区分適用を緩めていただけないと、街が持続しないと思います。今、ギリギリのとこまできていますので、この件に関しては待てない、譲れない状況です。ですから、発言させていただきました。答弁を聞いていて、しっかり現場を見ていただきたいと感じました。地域と時代にあった判断を求め、今後も要望していきたいと思います。



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野口遵翁生誕祭へ。

宮崎県延岡市に工場を構え、地域に化学産業を根づかせたのが、旭化成の創業者・野口遵さんです。電力と化学を融合させるという当時としては革新的な考えで、日本の産業界に大きな足跡を残された「延岡新興の母」とも称される方です。今も延岡のまちづくりの原点とも言える存在です。


吉玉会頭より、遵翁のお孫さんにお会いした際に聞いたいくつかのエピソードを、今回、お話しいただきました。

遵さんは生前、ひみこさんというお孫さん(現在80才代で、お元気でいらっしゃる)を、大変、溺愛されていたそうです。ひみこさんは、遵さんからピアノを買ってもらったことがあるそうです。

遵さんは、とても部下に厳しい方だったそうですが、お孫さんにはメロメロで普通のおじいちゃんだったそうです。遵さんはある時、ソウル市内で脳溢血で倒れたことがあり、その際、ひみこさんがお見舞いに行ったら、涙を流して喜ばれたそうです。ひみこさんは、「泣くって悲しい時だけでなく嬉しくても泣くんだね。」と率直に思ったのを覚えているそう。

遵さんの部下たちは、遵さんが孫に溺愛なのを知ってか、「ひみこさんはいますか?」「何時くらいにひみこさんは来ますか?」と確認をしてから、そのタイミングに合わせて、遵さんを尋ねていたそうです。そう、ご機嫌の良い時にアポイントを入れたかったから…。ひみこさんがいると、話もスムーズで、和やかに進んだそうです。

遵さんは、「したがう」と言う名前ですが、自分が人にしたがうことはしなかったそうです。遵とは呼ばせないくらい、威厳のある方で簡単に人に媚びない芯の強い方だったそうです。

近いうちに、ひみこさんに贈ったピアノが、野口遵記念館に届くそうですよ。


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